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筑波山ロープウェイ 

ゴンドラ空中 DSCF8350 500

ゴンドラ 駅 DSCF8345 500

眺め DSCF8344 500

山頂から眺め DSCF8346 500

山頂レストハウス DSCF8347 500

16.11
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筑波山神社

筑波山神社 DSCF8327 600

筑波山 ケーブルカー 

上り赤DSCF8313 500

線路 DSCF8321 500

降車 DSCF8312 500

山頂駅 DSCF8316 500

がまの油売り DSCF8317

中からDSCF8311 500

下り みどり DSCF8325 500

16.11 a

幕末と明治の博物館 茨城県大洗

幕末と明治の博物館 茨城県大洗
建物DSCF9385
ゴールデンウィク、旅行も子供の教育にプラスにならなくてはとお思いの教育熱心な御両親、茨城県大洗で歴史を肌で感じることができる博物館『幕末と明治の博物館』を見つけました。

入口DSCF9392
この日は大洗のアウトレットに行ってきたのですが、アウトレットの中に「その周辺の観光地の案内」のポスターがあり、よく見ると『幕末と明治の博物』というものがありました。

青春群像DSCF9387
ふと、なんで明治の博物館が大洗いに?と思ったのですが、

桜田門外の変DSCF9386
考えてみれば水戸藩だった。やっぱり「安政の大獄」「桜田門の変」は大きく取り上げられていた。

シアターDSCF9389
入ったところにシアターがある。
18分で幕末の移り変わりがよく分かるように、詳しく説明しています。

題目DSCF9390
こちらが、御題目です。

展示物DSCF9393
展示室。

明治天皇DSCF9395
明治天皇の肖像画もありました。

こちらは、幕末の激動の時代が理解できるようになっています。特に子供さんの歴史の学習に役立つと思いますので是非お勧めです。またこちらの敷地内には『大洗いキャンプ場』があり皆さん楽しそうでした。

2012年7月中旬訪問


いいサイトを見つけました。http://www5f.biglobe.ne.jp/~mind/ 以下拝借です。

朝廷工作・外交交渉・幕府のポスト争いなど『一橋派』と『紀州派(南紀派)』の派閥闘争は、最終的に『紀州派の勝利』で終わり、井伊直弼が大老に就任して次期将軍にまだ年若い徳川慶福(徳川家茂,1846-1866)が指名されました。井伊直中の14男として生まれた近江彦根藩主・井伊直弼(いいなおすけ,)が、幕府の実質的な最高権力者である『大老』の地位に就いたのは安政5年(1858年)のことでした。井伊直弼は松平忠固や水野忠央(紀州藩付家老)ら南紀派の政治工作によって大老の座を手に入れたのですが、独断専行型の政治を行って1858年6月に第121代・孝明天皇(こうめいてんのう,1831-1867)の勅許を得ることなく、アメリカの駐日公使タウンゼント・ハリスと日米修好通商条約を調印することを認可しました。

井伊直弼は尊王攘夷派の非難を押さえるために朝廷を無視した無断調印の責任を、自派の堀田正睦、松平忠固に押し付けます。しかし、この無断調印で攘夷主義者の孝明天皇を敵に回したことが、諸藩の尊王攘夷運動を煽り立てる結果を生み出します。外国勢力に屈服して日本の独立を危うくしているという弱腰外交のイメージが井伊直弼の命取りになるのですが、井伊暗殺(桜田門外の変)を招くきっかけになったのは国内の反対勢力(尊攘運動)を強権的に粛清した『安政の大獄(1858-1859)』でした。井伊の朝廷権威を無視した独断的な外交政策に怒った孝明天皇は、攘夷派・勤皇思想を代表する水戸藩に『戊午の密勅(ぼごのみっちょく)』を送って大老・井伊直弼を排除するように命じました。
大老・井伊直弼が日米修好通商条約に違勅調印して外国勢力に追従したことを非難する声は、徳川斉昭・徳川慶喜・徳川慶恕(よしたみ)・松平慶永(春嶽)ら大名だけではなく、梁川星巌(やながわせいがん)・頼三樹三郎(らいみきさぶろう)・梅田雲浜(うめだうんぴん)・池内大学(いけうちだいがく)といった当時の知識人階層(儒学者・国学者)からも多く上がっており、幕府の権威を低下させる尊王攘夷運動が活発化してきました。井伊直弼は水戸藩に『密勅の返納』を命じて反幕の密勅に関与した朝廷・幕府の人物の摘発を始めますが、この反幕府勢力・反井伊派に対する摘発・弾圧が尊攘運動を強権的に抑圧する『安政の大獄(1858-1859)』につながっていくのです。しかし、尊皇攘夷思想を信奉する水戸藩脱藩浪士は、水戸城下を離れて街道を封鎖しただけではなく、藩主の統制を無視して浪士が『国賊』と認識する井伊直助の襲撃暗殺を計画するに至ります。

1858年に徳川家茂が13歳で第14代将軍に就任すると、『南紀派』だった大老・井伊直弼は幕府の権力を掌握して、『一橋派』だった徳川斉昭、松平慶永、徳川慶恕(よしたみ,尾張徳川家)らを永蟄居・急度慎(きっとつつしみ)の処分とし、川路聖謨、水野忠徳、岩瀬忠震、土岐頼旨、永井尚志らの有能な幕府らを次々と左遷してしまいます。この幕府閣僚・官僚への厳しい処分(反対派閥の排除)を安政の大獄の始まりとする見方もあります。武家だけではなく公家に対しても左大臣・近衛忠煕(このえただひろ)、右大臣・鷹司輔煕(たかつかさすけひろ)、前関白・鷹司政通(まさみち)、前内大臣・三条実萬(さねつむ)が辞任して落飾させられており、青蓮院宮朝彦親王や内大臣・一条忠香(ただか)、二条斉敬(なりゆき)、近衛忠房(ただふさ)、久我建通(くがたけみち)、中山忠能(ただやす)などが謹慎処分(慎,つつしみの処分)を受けています。

安政の大獄は、幕府の権威と諸藩(武士)に対する統制力を回復するために断行された弾圧政策・思想統制ですが、大老・井伊直弼は特に、朝廷(天皇)の権威を強調して幕府の正統性を否定しようとする『尊王攘夷運動』の徹底した粛清に力を尽くしました。『安政の大獄』で最も厳しい処分を受けたのが『勤皇の志士(尊皇攘夷運動の活動家・思想家)・反井伊派の武士』であり、密勅を受け取った水戸藩の武士に対しては厳しい処断が取られました。水戸藩家老・安島帯刀(あじまたてわき)は切腹、水戸藩奥右筆頭取(おくゆうひっとうどり)・茅根伊予之介(ちのねいよのすけ)、京都留守居役・鵜飼吉左衛門(うがいきちざえもん)は幕府から死罪を賜ります。それ以外にも、福井藩主・松平慶永(松平春嶽)の家臣で開明的な開国通商の思想を持っていた英才の橋本左内(はしもとさない,1834-1859)や諸学に深い造詣を持っていた儒者の頼三樹三郎(らいみきさぶろう)が処刑されています。明治維新につながる勤皇思想・開明主義(開国通商)の指導者として評価されている長州藩の吉田松陰(よしだしょういん,1830-1859)も、井伊派の老中首座・間部詮勝(まなべあきかつ)の暗殺を計画した罪により死罪に処されています。

井伊直弼が安政の大獄で処刑したり獄死させたりした吉田松陰、橋本左内、梅田雲浜、頼三樹三郎といった顔ぶれを見ると、井伊直弼が勤皇思想(尊王攘夷運動)を幕府の権威維持にとって危険な思想であると認識していたことが良く分かります。幕府の信任低下(徳川幕府では国を守れないという不信感)に基づく『尊王攘夷運動』を純化させていくと『王政復古(大政奉還)』に行き着くことになるのは必然であり、大老・井伊直弼は幕府の権威と幕藩体制の秩序を維持するためには何としてでも尊皇攘夷の勃興(朝廷支持・幕府批判の思想)を抑止したかったのです。その幕府の権力低下に対する井伊の不安と焦りの感情が『安政の大獄』をもたらしたと言えますが、現実を無視した強権の発動と志士の弾圧によって、かえって諸藩の志士の幕府への反発は強まり『尊皇攘夷の思想』が『倒幕思想』へと変質していくことになります。1860年(安政7年)3月3日、井伊を国賊・独裁者と見なす勤皇派の水戸脱藩浪士(薩摩藩士1名含む)18名が、雪の舞い散る江戸城桜田門外で井伊直弼の行列を急襲して直弼を暗殺しました。この『桜田門外の変(1860年)』によって幕府の権威や統制力は更に落ち込むところとなり、幕府の軍事力に拮抗する『薩摩・長州』を初めとする西国雄藩の台頭が強まってきます。

月待の滝 茨城県大子町

正面DSCF9302
滝の裏側までいけるという茨城県にあります『月持の滝』に行って来ました。

門DSCF9295
この日は『久慈川観光やな』へ行き、そちらで周辺の観光スポットとしてこちら『月持の滝』を教えてもらいました。さっそくNAVIを設定しようとしても観光名所としてはありません。そんなにマイナー?と思いながら向かいます。

上からDSCF9306
観光HPに依りますと   
古くから伝わる信仰の滝
久慈川の支流大生瀬川がつくり出す、高さ15メートル、幅10メートル、三筋に流れ落ちる滝です。普段は二筋の夫婦滝ですが、水量が増えると子滝が現れて親子滝になります。
この珍しい形状のためか、古くから安産、子育て、開運を祈る二十三夜講(二十三夜の月の出を待って婦女子が集う)の場とされたところから月待の滝と呼ばれ、胎内観音をお祀りしています。
水に濡れることなく滝の裏に入ることができるとこから、別名「裏見の滝」または「くぐり滝」ともいわれ、マイナスイオンを浴びる人々で賑わいます。
と紹介されていました。


裏側からDSCF9304
こちらが滝の裏側です。

私DSCF9305 - コピー
ここまできたら水に入ってみたくなりますよね。一番上の写真は下から撮ったもの。正面からの写真は水の中に入らないと撮れないので貴重かも?だって観光客で私しか入っていなかったもん。
こちらNAVIに入っていないぐらいマイナーな観光地というのが不思議。
滝の裏側を見れるなんて、なかなか無いのでこちらはお勧めです。

2012年7月中旬訪問

カウンター(2013年7月11日~)

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